タルコフスキー映画はオススメできるか
昨日は「アンドレイ・ルブリョフ」について書いた。さて、タルコフスキー映画の話である。
タルコフスキー映画はオススメできるか
タルコフスキー監督の作品は万人にオススメできるか、と言われたらワタクシは間違いなく「NO」という。だが、映画マニアにならオススメできるかと言ったら、これもNOだ。
タルコフスキー映画は、合う・合わないがとても大きいと思う。「分かる・分からない」ではなく、「合う・合わない」だ。合う人にとっては、よく分からなくても好きになるだろうし、合わない人にとっては、分かっても好きになれない。そんなタイプの映画だとワタクシは思っている。
惑星ソラリス
タルコフスキー映画を好きになるような人は、たぶん、人にすすめられるのではなく、自然と出会っていくのではないかと思う。
ワタクシのタルコフスキー作品との出会いは「惑星ソラリス」のパッケージだった。なんだかよくわからないが「美しい」と思ってしまったのだ。これは見なければいけない映画な気がする。そう思ったのがはじまりだった。
「惑星ソラリス」は大変に静かな映画で、見はじめてすぐに眠くなってきた。なんというか、寝るのに心地のいいリズムなのである。タルコフスキー作品は「睡眠導入剤」といわれることもあるが、本当に気持ちがいい。特にソラリスの導入はいい感じだ。
ソラリスを完走
結局、「惑星ソラリス」は15分見るごとに休憩を入れるという形で見て、なんとか完走した。映画ファンにあるまじき、大変にダメな見方であるが、一度見終わってみると、ワタクシなりではあるが、この映画の文法が分かった気がした。
ストーリーを追ったり、大きな事件が発生するのを待つのではなく、その画(え)にこめられたものや行間を読みながらみるのがよいのではないだろうか。
そう思ってからもう一度見直してみると、今度は眠くなるどころか、面白くてたまらなくなった。
映画というとストーリーに軸があるものがほとんどだと思う。だからそれを見ることについ重点を置いてしまいがちだ。だが、タルコフスキー監督の映画はストーリーに軸があると言うよりも、その画(え)に込められたもの、あるいは「主人公のその時間」を見ることで、浮かび上がってくるもの、これが大きいのではないかとワタクシは思った。こういう映画もあるのかとワタクシはただただ衝撃だった。
ノスタルジア
ワタクシの好きな作品に「ノスタルジア」がある。これも大変に完成度の高い作品であるが、タルコフスキー監督は、ノスタルジアは亡くなっていなければ「アナトリー・ソロニーツィン」で撮りたかったという話を本で読んだ覚えがある。もしかなっていればどんなふうになっていたのだろうか。