talkingdoll

カメラとへんてこなものを愛するフリーランス。カメラ、映画、へんてこなどのネタをつぶやきます。

どうせならヘンなタイミングで切り替えるよりも。

昨日のつづきである。

ワタクシの生活スタイルは、Amazonのプライムに入ったことでずいぶんと変わった。

それまでは、レンタル店に通って映画のDVDを探すのがたのしみだったのだが、プライム・ビデオが便利すぎて、ほとんどレンタル店を利用することがなくなってしまった。

プライム・ビデオ

プライム・ビデオなら、ハズレ作品をつかんでも損をすることはない。ハズレと思った瞬間に視聴をやめて、他の作品を探せばいいのだ。

今はDVDレンタルも安いが、それでもハズレ作品をつかんだ時は異様に損をした気持ちになる。

これは人間の本能ではないかとワタクシは思っているが、金額に関わらず「それにお金を払ってしまった自分」を異様に悔やませるものがある。

実験作の多いジャンル、特にホラー映画にそういった作品が多いが、その作品を選んでしまった自分を呪いたくなるのである。

まあ、呪いを意識させた点でホラーとしては成功なのかもしれないが・・・いやいや、ワタクシは何を言っているのだろう。

ともあれ、プライム・ビデオに限らないが、定額でいろいろな作品をたのしめるサービスは本当にありがたい。

タイミング

 

さて、このブログだが、これからは毎日更新にこだわらず、少し気楽に更新していきたいと思っている。

もともと自分自身のリハビリ&実験が目的で、おおよその感覚がつかめたというのが理由である。

実はけっこう前から、マイペース更新に切り替えようと思っていたかったのだが、たまたま記事数をみたところ、キリのいい数字がみえてきたところだった。

どうせならヘンなタイミングで切り替えるよりも、区切りのいい数字の方が気持ちがいい。

それが今回の500記事だった、というわけである。

今時、検索エンジン対策をまったく考えていないブログは少ないだろうが、このブログはその1つである(笑)。

 

というわけで、ワタクシにとっては気ままに書ける場所として、貴重なブログである。

毎日更新してきて思ったこと 「画像」について

さて、このブログだが、これまでアイキャッチ画像らしい画像を使ってこなかった。

記事の中で出てきた画像から選ぶことがほとんどだった。

というわけで、今回は「画像」について毎日更新してきて思ったことを書いてみよう。

画像のこと

このブログでは自前の画像はほとんど使っていない。

ほとんどが商品紹介用の画像で、自分で用意したものは数枚ぐらいだろうか。フリー素材は使っていない。

割ける時間と労力

これには理由があって、1つは「割ける時間と労力」の問題。

以前も書いたが、このブログでは「自分の生活スタイルで、毎日更新できるかどうか」を知りたかったというのがある。

そう、写真にまで手がまわらなかったのである。

書いているときに「ここに画像がほしいなあ」という場面はしょっちゅうだったが、時間的にどうしても難しかった。

パクリ問題に辟易していた

ワタクシがやっている別ジャンルでの話だが、このブログをはじめた頃は、盗作問題に悩まされていた。

その対応に追われていた時期は、あまりこういう言い方はよくないと思うが、「人間ってここまで汚くなれるものなのか」と悲しくなったものだ。

それもあって、ネットに画像を上げることにものすごい抵抗を感じるようになった。

盗作問題って、精神をやられるんだよな。

プロフィール画像

プロフィール画像は、最初に仮で入れていたのだが、結局、そのまま来てしまった(笑)。

開設当初は「作る時間はあるだろう」と思っていたんだけどね。まあ、ご覧の有様だよ!ということである。

これで困るのは、記事の中に画像を使っていないとき。

アイキャッチに入れる画像がこれしかないので、下手すると、ここ最近のように新着記事にこの画像ばかりが並ぶことになる。

こういうのはとても気持ちが悪い(笑)。

だましだまし

そうした理由で、なかなか画像を使うことができなかったわけだが、適度に画像があるほうが絶対にみやすいと自分でも思う(笑)。

文章ばかりだと、読んでいる時に休憩部分がないでしょう?適度にインターバルが入りつつ読めるほうがいいよな。

次回につづく

まさか自分がアニメをみるなんて

このブログを始めてから、大きく変わったことといえば、「まさか自分がアニメをみるなんて」ということだ。

ワタクシはテレビをまったく見ないので、普通に生活をしていたらアニメを見る機会はまずない。

情報源といえば、ネットでたまに目にする広告だったり、レンタル店でジャケットを見る程度。

気になるものをレンタルしたこともあったが、それでも数えるほどだった。

プライム会員になってから

が、Amazonのプライム会員になってからそれが大きく変わった。

Amazonのプライム会員になると、プライム・ビデオという動画見放題のサービスがたのしめる。

映画からドキュメンタリー、アニメなど様々な作品がみられるが、なんといっても「ちょっとみてみるか」というたのしみ方ができるようになったのが大きい。

ちらっとみて面白そうなら見続ける、いまいちなら別の作品を探すなんてことが気楽にできるようになったのだ。

当たりかはずれかわからないような作品をレンタルで借りてくるよりも、はるかに効率がいい。

アニメにハマる

ラブライブ! Solo Live! II from μ’s 絢瀬絵里

そんなわけで、たまたまアニメを見始めたところ、非常に面白く感じ、一気にハマってしまった。

といっても、あくまで「ワタクシの中では」というレベルなので、アニメファンの方々からみれば、にわか以下のレベルであろう。

OPとEDをカットすれば、1話につき20分前後でたのしめるのもいい。

そんな言い訳をしつつ、ラブライブ!の記事を書いたりもしたなあ。

最近はエリチが魅力的にみえてきた。正直、自分でも「きめえよwww」と思っているので、そう思えているうちは大丈夫だろう。

 

 

そういうものがあれば、時間も労力も惜しみなく割くことができるだろう

昨日の続きである。

毎日更新をつづけるには、確固たる目的があるほうがいいという話を書いた。

それは「伝えたいこと」だっていい。そういうものがあれば、時間も労力も惜しみなく割くことができるだろう。

・・・と、こんなことを書いておいてなんだが、ちょっとだけワタクシのことを書いてみよう。

伝えたいこと

ワタクシはこのブログで映画のことをよく書いてきた。

作品としてのよさのほかに、映画に対する日本のスタンスや邦画の問題点などにも触れたことがあった。

が、作品のよさを書いている時はたのしいのだが、日本版の予告編のひどさや邦画の問題点について書いたあとは、いつもむなしくなるばかりだった。

ワタクシはテレビを見ないので、記事にする時にYoutubeで配信されている日本版の予告編(公式のもの)をみるのだが、あまりのひどさに「・・・」となることが多かった。

で、そういうことを書けば書くほど、日本版の予告編のひどさが見に染みてくるんだ。ほんとダメになっちゃったんだなあと。

なぜ時代劇は滅びるのか (新潮新書)

春日太一氏の本に「なぜ時代劇は滅びるのか」という本がある。タイトル通りの内容の本だが、時代劇以外にも共通する部分がある。

こりゃあダメになるわ・・・ということがひしひしと伝わってくる1冊である。

声をあげるということ

日本の映画文化、ドラマ文化のレベルが落ちて行く姿をみるのは、大変につらいが、もう戻ることはないだろうなあと思っている。

これが、同じ思いを持つ仲間を集める目的なら、ブログでガンガン声をあげていけばいいと思う。

そう、これについても「目的があるかないか」なのである(笑)。

ワタクシの場合は、そういう仲間を集めたいとも思わないんだよな。

みんなで集まってぐちぐち言ったって、何にも変わらねえじゃんって思うし、1人で絶望したって、みんなで絶望したって同じじゃんって思ったりする(笑)。

確固たる目的があるほうがいい

前回につづき、「ブログを毎日続けてわかったこと」である。

昨日の記事のつづきからになるが、ワタクシにとって「割ける時間」と「割ける労力」は大きな問題だった。

確固たる目的があるほうがいい

前にも書いたが、ワタクシはこのブログを「自分自身のリハビリと実験のため」にはじめた。

なので、この目的に対して「どれだけの時間や労力をかけられるか」ということがポイントだった。

たとえば、収入につながるブログだったり、承認欲求の強い人なら、どれだけの時間や労力をブログに割いてもいいかもしれない。

が、ワタクシの場合は目的が目的なので、寝る間を惜しんでもこのブログ!というわけにはいかなかった。他のほうもあるからなあ(汗)。

時間を惜しまずにつくりこむ

つまり、やってみて思ったのは「確固たる目的」があれば、どれだけでも熱中できるだろうなあということだ。寝る間だって惜しくなくなる。

その目的はたいそうなものじゃなくても、承認欲求だっていい。なんだっていいんだ。

やってみて、そんなことを思った。

そして、ワタクシは「なんと承認欲求のない人間なのだろう」と思った(笑)。

なんかあまり知られたくないし、友達に噂とかされると恥ずかしいし・・・と常に思っていたりする。

まあ、自分の専門分野でいくブログならそれでもいいかもしれないが、そういうものを封印してやるのに、承認欲求ゼロってのは致命的だよな(笑)。

次回につづく

「次回につづく」とあるのに、つづきがこない(笑)

さて、毎日更新してきたこのブログだが、このところはふりかえりとして「毎日更新してみてわかったこと」を書いている。

これは先日の記事でも書いたが、実は毎日書いているわけではなく、予約投稿を使っている。

多いときは1回に4~5記事ほど書いたりしている。ワタクシの生活には、これがちょうどいいやり方なのだが、大きな弊害がある。

それは、前に書いたことを忘れてしまうのである(笑)。

「次回につづく」とあるのに、つづきがこない(笑)

このスタイルだと、1回書いたあとに間があくものだから、次に書くときに「あれ、前に何書いたっけ?」となることが多かった。

1回ごとに完結する記事ならまだいいが、おそらく多かったのは「次回につづく」と書いてあったのに、つづきがこないというケースである。

 

また、テンションがあがった状態で「次回につづく」となっているのに、次はまったく違う人格になっているような場合も、これにあたる。

前のテンションを忘れてしまっているのである。

これに関しては、古い言葉になるが「正直、スマンかった」としかいいようがない。

書き終わった時点では

こうしたケースでは、書き終わった時点では、まだ書きたいことがあり次回につづける気がいっぱいなのだ。

が、時間をおくと、気持ちもテンションも変わっちゃうんだな。

よくあるでしょう、そのときはすごく「これは言っておかなきゃ気がすまない!」って思ってたのに、何日かたったら「別にたいしたことじゃないし言わなくてもいいか(笑)」みたいな。

まあ、前に書いた記事を読み直せばいいだけの話なんだけど、わりとカツカツのスケジュールでやっていただけにそこは厳しかったな。

次回につづく。 

マイクル・コナリー「暗く聖なる夜」を読んだ

このところ、ブログの再構築についての記事が続いたので、今回は最近読んだ本について書いてみよう。

マイクル・コナリー「暗く聖なる夜」

暗く聖なる夜(上) (講談社文庫)

ろくでもない帯の文言はどうでもいいが、警察小説の最高峰と呼ばれるボッシュシリーズである。

doll3.hateblo.jp

ボッシュシリーズは、一度読むと次々に読みたくなるといわれているが、まさにその通り(笑)。

ワタクシも見事にハマってしまった。

暗く聖なる夜(下) (講談社文庫)

下巻の帯もまったくひどいな、こりゃ(笑)。

「刊行された順に読む」というのはシリーズものの鉄則だが、今回もランダムに選んでしまった。これはシリーズの9作目にあたる作品だ。

ところどころ、まだ読んでいない作品のネタバレをされているような気がしないでもないが、これまた大変に読み応えのある作品だ。

前回読んだエコー・パークとは違い、こちらは一人称で書かれている。

それにしても、話の組み立てがすごい。

これは海外の小説を読むとよく感じることなのだが、小説の作り方自体が日本とは大きく違うのかもしれない。

もちろんモノのとらえ方や感性の違いもあるだろうが、映画なんかでもそうだし、日本とは根本的なところから違うのかもしれないなあ。

 

暗く聖なる夜(上) (講談社文庫)

暗く聖なる夜(上) (講談社文庫)

 
暗く聖なる夜(下) (講談社文庫)

暗く聖なる夜(下) (講談社文庫)

 

 

 

広告