「アンドレイ・ルブリョフ」について
今回は「アンドレイ・ルブリョフ」について書いてみよう。ワタクシがたまらないほど好きな作品である。
「アンドレイ・ルブリョフ」はアンドレイ・タルコフスキー監督の作品である。
タルコフスキー映画というと、一般的には「鏡」「ストーカー」「惑星ソラリス」あたりの評価が高いと思うが、ワタクシも同感だ。これらはある意味、到達点といってもいいぐらいの完成度だ。
ただ、これはファンとして大変ぜいたくなことであるのだが、時に「鏡」「ストーカー」「惑星ソラリス」は「完成されすぎている」と思ってしまうこともある。あまりに見事すぎて、隙がなさすぎるように見えてしまうのだ。
こうした最高峰の作品に触れてしまうと、今度はもう少し遊びと言うか、ブレがほしいと思ってしまうのである。まったく人間とはぜいたくでどうしようもないものである。
アンドレイ・ルブリョフ
そこでアンドレイ・ルブリョフである。1969年の作品なので、先に挙げた「鏡」「ストーカー」「惑星ソラリス」より前の作品だ。年代順に並べると、アンドレイ・ルブリョフ(1969)、惑星ソラリス(1972)、鏡(1974)、ストーカー(1979)となる。
ソラリス以降のスタイルと大きく違うのは動きだ。アンドレイ・ルブリョフは、以降の作品と比べて、かなりダイナミックに動くし、歩くスピードも以降のタルコフスキー作品ほど遅くない。これだけでもかなり雰囲気が違う。
3時間ほどの作品だが、以降の作品に比べ、動きの緩急に幅があるので、それほど長く感じないようにも思う。
おそらくこれらはタルコフスキー監督が以後の作品でそぎ落としていった部分なのかもしれないし、アンドレイ・ルブリョフだからこその演出なのかもしれないが、非常にいいバランスで調和しているように感じた。
ちなみに、アンドレイ・ルブリョフには、タルコフスキー映画の代名詞とも言われる「水が垂れるシーン」が少ないのも面白いところだ。
どのシーンも1枚の写真のよう
それにしてもである。この映画の構図の完成度、カメラ割りの完成度といったら凄まじいものがある。ストーリーは初見ではわかりにくい部分があるかもしれない。だが、わからなくても惹きこまれる磁力のようなものがある。タルコフスキー映画は、画(え)を見るだけでも価値があると言われるように、どのシーンもまるで1枚の写真をみるかのようだ。本当に素晴らしい画を見ることができる。
ワタクシはタルコフスキー映画は1つの出会いだと思っている。このジャケットデザインや画(え)に感じるものがある人はぜひ見てほしいと思う。
タルコフスキーを語り始めると長くなりそうなので、続きは次回に書くこととしよう。