他人のことってそんなに気になるのかなあ
ネットをみていると、やたらと人の動向を監視というかチェックしている人がいる。
ワタクシはこういうのが不思議でしょうがないのだが、他人のことってそんなに気になるのかなあ。
普通とそうでないところの境目
長く会っていない人のことを、ふと思い出して「今どうしているのかなあ」と思うことはあるだろう。
だが、そういうのだって「たまに」が普通じゃないのか?
すぐに会える相手でも、親しい相手なら「今何してんのかな?」とふと気になることもあるだろう。
だけど、何をしているのかが、ずーっと気になるものなのか?
ワタクシには、こういった感覚がさっぱりわからない。
「気になるようになる」のか?
SNSのことを「相互監視ツール」という人がいる。
その言葉が適切かどうかはさておき、いったん人の動向を気にする習慣がついてしまうと、SNS以外の場所でもそうなってしまっているのだろうか。
というのも、最近そう思うようなことに遭遇したのである。
ワタクシはSNSをやっていないのだが、「近況知ってますよ?」みたいに言われて、ぞぞーっときた。
なんで!?あんたに教えてないじゃん、言ってないじゃん、どこから聞くのよ、それ、こわっ!と思った。
気にして何になるのか
なんというかな、ある時期を境に、人のこういう部分がどばっと出てきてしまったように思う。
もともとそういう性質があったのかもしれないが、前はまだ隠せていたと思うのな。今は歯止めが効かなくなってきたような気がしますな。
人にもよるのだろうが、ワタクシの場合は、いやしさやいやらしさが見えてしまうのはちょっと・・・と思ってしまうのだ。
「逃げる側」が怖さをひきたてる「モーテル」
「モーテル」を観た。この映画、こわっ!
モーテル
「モーテル」は2007年の作品だ。ジャンルとしては、サイコホラーになるだろうか。
見知らぬ町で車が故障、やむをえず泊まることにしたモーテルが実は・・・という物語である。
ストーリー展開は王道中の王道だが、この作品、かなり怖い。残虐な怖さではなく、精神的にじわじわとくる怖さが抜群なのだ。
これは海外版のトレーラーなのだが、字幕なしでもその雰囲気は伝わると思う。いいですよ、これ!
「逃げる側」が怖さをひきたてる
この作品の面白いところは、逃げる側の描写が秀逸で、それによって敵の怖さが何倍にも膨れ上がっているところだろう。
鑑賞後に振り返ってみると、敵の攻撃シーンがほとんどないことに驚く。具体的にどのぐらいの強さなのかもよく分からないし、見た目も普通だ。
だが、すごく怖いのだ。
ホラーは受け手(怖がる側)が重要なポイントだが、この映画はほぼそれだけで成り立っているといってもいいだろう。低予算映画だが、素晴らしいつくりの映画だ。
派手さはないが、安心してみられる作品だ(ホラーで安心というのも変な話だが)。
黒川博行「勁草」を読んだ
黒川博行「勁草」を読んだ。振り込め詐欺をテーマにした小説である。
これまで黒川博行氏の本は気になっていたものの、なかなか読む機会がなかったのだが、いやあ、面白いですなあ。
ほとんど会話で進行していく
読み始めてすぐに思ったのは、物語のほとんどが会話で進行していくことだ。
状況説明も最低限で、おおざっぱにいえば「台本みたいなつくり」なのだが、ワタクシがこのブログでたびたび書いている「悪い意味での台本みたいな小説」とは違った感じだ。
従来の小説が「会話以外の部分」でやっていたことを、会話に溶け込ませているのだろう。計算してやっているのか、自然にそうなっているのかはわからないが、なんだか不思議な作家だなあと思った。
会話
日本は映画でもドラマでも、とにかくセリフが多い。ほぼセリフと顔で語らせていると言ってもいいかもしれない。で、それらには、ほぼその言葉や表情以上の意味はなく、きわめて明瞭だ。
黒川博行氏の本を読んで思ったのは、ある意味、これが日本の小説のスタイルなのかもしれないなあということだった。
説明台詞もここまでくれば、成り立ってしまうのだなあ。いろいろと楽しい読書でございました。
「日記を書く」という行為に、何かを求めない
寝る前に日記を書くのが習慣になっている。
使っているのはツバメノートのA5だ。
日記の書き方
ワタクシの場合、日記で自分をみつめなおすとか、日々の感動を残すといった考えはないので、かなり気楽だ。
その日にやったことを書き、気が向いたら感想も加えるくらいだ。
たとえばこんな感じだ。
・食べ放題に行った。やっぱりここがいちばん好き
・今年はじめてミツバチを見た。うれしい
そう、めちゃくちゃシンプルである。
たったこれだけでも、読み返せば、記憶も感動もよみがえってくるし、振り返ることができる。ワタクシの場合は、このやり方がいちばん合っている感じだ。
全部は書かない
日記は夜につけることが多い。その日にあったことを思い出して書くことはせずに、その時に頭に浮かんだことだけしか書かない。
なので、3分もあればたいてい書き終わってしまう。
文章も「必要な情報」しか入れていない。もし、おいしいものを食べたのなら、1文はそれだけでいいと思っている。
こんな書き方
たとえば
○○さんと△△へ行って、××を食べた。人が多くて順番待ち。さすがに春休み。子供連れが多い。待っている間、そろそろお花見だねえという話をした。
という書き方をすると、ワタクシの場合、続かない。記録としてはアリだろうが、書いていて非常にめんどくさくなってくるのだ。そう、たぶん続かなくなる。
ワタクシの場合は、どうでもいい話はばっさりカットして
・××を食べた。チャーハンがおいしかった
・春休み早く終わってくれ
と書く。
ワタクシは人の多いところが苦手なので「春休み早く終わってくれ」と書くだけで、混雑に辟易した記憶がよみがえってくるというわけだ。
要は、読み返したときに自分が分かればいいのだから、そのために必要なことだけがあればいいという考えだ。
「日記を書く」という行為に、何かを求めない
ワタクシの場合は、気楽に書くのがいい感じだ。「日記を書く」とことに、何かを求めないのも大切だと思う。
ついつい「自分を見つめなおす」とか「これからのために」と思ってしまうが、修行ではないというのがワタクシの考えだ。
そんなスタンスで書いても、読み返せば、自分を振り返る要素も、これからに役立つことも自然と入っていたりするのが面白いところだ。
ノーマルなキャンパスノートもいい
最近、この表紙のキャンパスノートもいいなと思えるようになってきた。
今までずっと「いまいちな表紙だなあ」と思っていたのだが、かえってこのあか抜けなさもいいような気がしてきた。
表紙の硬さ
ワタクシは毎日のToDoリストをA6ノートに書いている。
ふだんはキャンパスノートのA6を使っているのだが、先日、たまたま手元にあった別メーカーのものを使ってみた。
そのメーカーのものは表紙がとてもオシャレでいい感じなのだが、これがワタクシの用途には厳しい感じだったのだ。
ワタクシは主に左ページのToDoを書き、右ページをメモにあてている。別メーカーのものを使ってみて分かったのだが、表紙がやわらかいと左ページが書きにくいのだ。
机にきちんと置いて書いたり、下敷きを使うなどすれば、そのやわらかさも気にならないと思うが、ワタクシの場合は手に持って書いたりもする。
走り書きすることも多いので、あまりにやわらかいとちょっと厳しい。
「ああ、用途によって合うノートが違うのだなあ」とあらためて思った。
そんなわけで
そんなわけでキャンパスノートに戻ってきたのである。ほどよい硬さという用途を満たしてくれていることによって、いまいちだと思っていたデザインも、これはこれでアリかなと思えるようになってきた。
ドット罫線もいいが、最近はノーマルバージョンのページの雰囲気、書き味も気に入っている。
渡辺俊介「アンダースロー論」を読んだ
こんなに書いていいの!?というぐらいに、投げ方のコツ、技術解説がされている1冊だ。こりゃあ、面白いっすよ!
アンダースローとは
アンダースローとは、ピッチャーが投げるときに腕が水平より下から出るフォームのことをいう。
上の映像は、渡辺俊介氏のものだが、水平を下回るどころか、地面スレスレから手が出ている。アンダースローが「サブマリン」と呼ばれる所以がよくわかる映像だ。
この本は、この投げ方のコツが存分に書かれている1冊だ。
アンダースローは受け継がれていく
本書を読んで驚くのは、渡辺俊介氏の貪欲さだ。特にアンダースロー、サイドスローの先輩たちから教わり、受け継いでいる部分が多いのは感動的だ。
伝説のサブマリン・山田久志氏から教わった話のくだりは非常に面白い。腕は下からだが、手首は下からではなく立てて投げるのだそうだ。
山田久志氏の映像をみると、確かに手首の角度がそうなっている!
いやぁ、美しいですなあ!それにしても、ものすごいボールですなあ。
アンダースロー
映像をみるとわかるが、同じ「投げる」でも、上からと下からではずいぶんと違う。
渡辺俊介氏の本によると「指導者もアンダースローが分からない」というが、そりゃあそうだろうなあと思う。
だからこそ、アンダースローのポイントを伝えていきたいというのが本書である。そのため、ややマニアックな部分もあるが、全体に読みやすく面白い1冊だ。
極上のB級テイストがここに!「スパイダーパニック」
「スパイダーパニック」を観た。こりゃあいいっすよ!
スパイダーパニックは、バカバカしくも、実に面白い映画だ。ドキドキできて、能天気にキャーキャー騒げる「これぞパニック映画!」というつくりである。
スパイダーパニック!
パッケージをみて分かるとおり、B級テイストがぷんぷんと漂っている。サントラのジャケットもまた素晴らしい。
まさにB級である。顔が少し笑っているようにみえるのもいい。
スパイダーパニックは、昔のパニック映画のオマージュ的作品だ。ストーリーの展開も人物たちの行動も「昔のパニック映画ならそうするよね!」というものになっている。
巨大なクモの大群に襲われたらどうするか。そう、答えは「みんな逃げて!ショッピングモールに逃げて!」である。
つくりこまれた1作
B級テイストが漂いまくっている本作だが、実によく作りこまれている。映像をみると、意図してB級っぽく仕上げていることがわかるはずだ。
上のトレーラーでは一部しか取り上げられていないが、本編をみると、光と影の使い方が絶妙で驚く部分も多い。いいですよ、これ!
巨大化するクモたち
スパイダーパニックは巨大化したクモたちが町を襲うというストーリーだ。クモたちはCGでつくられているのだが、この加減が実にいい。
動きは相当計算してつくりこまれているのに、昔の特撮映画っぽくみえるように撮られているのだ。
だから、パッと見はチープになのに「すげえ!」と思わされるシーンが多い。チープとゴージャスの狭間を行き来するこの計算っぷり、こりゃあすごい。
バイクとクモのデッドヒート
な、何を言っているのかわからねえと思うが、この映画、バイクとクモがデッドヒートを繰り広げるんだぜ。
わけがわからないが、これがまたド迫力なんだ。
ちなみに、町を襲う巨大グモの大群だが、声がとてもかわいい。やられるととてもかわいい声をだすぞ。