talkingdoll

カメラとへんてこなものを愛するフリーランス。カメラ、映画、へんてこなどのネタをつぶやきます。

この表紙はどうなのか

ワタクシは小説を読むのが好きだが、表紙のデザインも気になるタイプだ。

あきらかに作品のイメージに合っていないものや、「私の個性を出しました」的な表紙はどうにも苦手である。

この表紙はどうなのか

たとえば、これなんかはかなり強烈だ。

注文の多い料理店 銀河鉄道の夜 (集英社みらい文庫)

子供向けではあるが、いや、これは違うだろう・・・という話である。

作品のイメージよりも、自分の個性を出すほうにいってしまった感じだ。

これも厳しいデザインだ。

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

何、これ?という感じである。

こういういかにも「デザインしました!」みたいなのは、本当に苦手である。

嵐が丘

ワタクシは、作品のイメージに合っている表紙や、想像の余地があるものが好きだ。

嵐が丘 (新潮文庫)

たとえば、嵐が丘(田中西二郎・訳)の表紙は、かなり好きなデザインだ。この場所自体の雰囲気にも、作品全体のテーマにもうまくはまっているように思う。

一方、光文社のほうをみてみると・・・

 

嵐が丘(上) (光文社古典新訳文庫)

何これ、意味わかんねえよ!である。

 

嵐が丘〈下〉 (光文社古典新訳文庫)

こういう顔を描きたいだけじゃないのか?という感じである。

ある登場人物をイメージしているのかもしれないが、作品を読んでいたら、こんな表情にはならないだろう。

他の「嵐が丘」もみてみよう。

嵐が丘 (新潮文庫)

訳に大きな問題があると言われている鴻巣版であるが、これも作品に出てきそうなイメージである。読み終わったあとは、この表紙から感じるものも多いように思う。

続いて、岩波文庫である。

嵐が丘 (1960年) (岩波文庫)

こちらも素晴らしい表紙だ。

「余計なことをしない、作品のイメージを正しく伝える」これだけでいいじゃないかと思わせてくれるデザインだ。

ますむら・ひろし先生

アニメ版 銀河鉄道の夜

作品にイメージといえば、ますむら・ひろし先生の「銀河鉄道の夜」がある。

ジョバンニやカムパネルラほか、人物がみんななぜかねこなのだが、ワタクシはこれほどまでに作品のイメージに合ったデザインを見たことがない。

そこにはあるのは、まさに銀河鉄道の夜、まさに宮沢賢治の世界のように思う。

銀河鉄道の夜―最終形・初期形〈ブルカニロ博士篇〉 (ますむら版宮沢賢治童話集)

こちらもすごい作品だ。ブルカニロ博士篇もたのしめる。興味のある人はぜひ読んでみてほしい。

まとめ

今回は、小説に表紙についてワタクシが思うことを書いてみた。まあ、なんだ、ヘンな自己主張は勘弁ということですな。

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