本に書き込みをしながら読んでみた
先日、本に書き込みをしながら読んでみた。やってみるとなかなか面白いものだなあと思った。
きっかけは先日読んだ「三色ボールペンで読む日本語」である。
本をノートにする
実際にやってみて思ったのは「そうか、これは本をノートにするということなのか」ということだった。
ノートであれば「書いて終わり」ではなく、読み返してこそ意味がある。線をひく、書き込むというのは、なるほど、そういう意味があるのかと思った。
「書き込みをしながら読んだ本」を実際に見直してみると、とにかくわかりやすい。
2回目以降は線がひいてあるところを拾っていくだけでもいい感じだ。いいなあ、これ。
こんな感じでやってみた
今回は三色ボールペンの本に載っていた通りのやり方をしてみた。
・赤:(客観的に)すごく大事
・青:(客観的に)まぁ大事
・緑:自分がおもしろいと感じたところ
に線をひくという方法だ。
ボールペンは、手元にあったハイテックCを使ってみた。
ハイテックCやスタイルフィットなどの、リフィルを自由に変えられるボールペンは本当に便利だ。本体自体を変えられるところも気に入っている。
さて、肝心の本だが、今持っている本にひくのはもったいなかったので、これ用の本をブックオフで買ってきた。もちろん108円の本である。これなら気兼ねなくひけるぜ!というわけだ。
次回につづく
齋藤孝氏「三色ボールペンで読む日本語」について2
昨日にひきつづき、齋藤孝氏の「三色ボールペンで読む日本語」についてである。
読書術の本
この本の中で齋藤孝氏は
自分なりの読み方と称した、勝手な客観性のない読み方が許容されている現実には、私は我慢ができない
と書いている。
あわせて、「前提となる読みが狂っていてはならない」ということも説いている。
ワタクシは「おお!」と思った。実に素晴らしいフレーズだ(後者が書かれたくだりについては、ちょっと恨みつらみが入っているように感じる部分もあったが・・・)。
本を読む時に気をつけること
ワタクシは本を読むのが大好きだが、できるだけとんちんかんな解釈をしないように気をつけている。
どうでもいい話だが、「考えるな感じるんだ」というフレーズを、「考えるのは愚か→感じたことがすべて正しい」と頭の悪い解釈をしている人をみると、うわぁ・・・って思うよな。
その口で「嫌だなあと思う人がいても、嫌ってはいけません。その人の気持ちになって考えてみましょう」とか言っているんだぜ。プー、クスククスクスwwwwである。
ドストエフスキーを読む
「三色ボールペンで読む日本語」では、齋藤孝氏の本の読み方が書かれているのも興味深かった。
中でも面白かったのは、ドストエフスキーの小説を読むときに「呼吸」や「息」に関連する部分を、緑のボールペンでチェックしながら読んだというくだり。これがまた面白いんだ。
ドストエフスキーがいかに「呼吸」や「息」を効果的に使って書かれているかがわかる。こうやって部分部分に注目していくと、「呼吸」や「息」以外にも、もっといろいろな仕掛けがあるんだろうなあと思わされる。
まとめ
「三色ボールペンの使い方」に目がいってしまいがちな1冊だが、読書術の本として読むと、なかなか面白い本だと思う。
同じたとえ話が何度も出てくる(しかもあまりイケてない)ので、そこは飛ばしながら読むのがオススメだ。
今さらながら齋藤孝氏の「三色ボールペンで読む日本語」を読んでみた
今さらながら齋藤孝氏の「三色ボールペンで読む日本語」を読んでみた。
齋藤 孝氏の本
齋藤孝氏の本と聞くと、「粗製乱造」という言葉が思い浮かぶ人も多いだろう。もちろんワタクシのその1人だ。
読んでいると「これ、1ページですむ話じゃないのか?」とか「1冊の中で、何回同じたとえ話をするんだよ!」とか思う本、多いよな。
だが、それを差し引いても、この本はなかなかの良書ではないかと思う。
ワンアイデア
齋藤孝氏の本は基本的にワンアイデア、1つの思いつきから書かれているものが多い。
そこに、いろいろな話を結び付けて1冊にまとめるというスタイルだが、「ワンアイデア」がスベッてしまうと、とたんにしょうもない1冊になるように思う。
たとえ話が的確でないことも多く、薀蓄もさほどではない。つまり、ワンアイデアに価値を感じなければ、深みがあまりない本―それがワタクシが氏の本に持つ印象だ。
これは2012年の本だが、齋藤孝氏のフットワークの軽さがよく出たタイトルだ。話題になったフレーズがあると、すぐにのっかる、このたくましさよ・・・。
三色ボールペンで読む日本語
そうそう、「三色ボールペンで読む日本語」の話である。
ワタクシはこの本の内容を誤解していた。というのも、タイトルからして「日本語の解釈をたのしむ本」だと思っていたのだ。「ボールペンを使うと、文章をより深く味わえるよ」みたいな。
だが、実際は、読書術が書かれた本だ。本を読むたのしさ、読み込むおもしろさが存分に書かれている。
次回につづく。
監督・選手が変わってもなぜ強い? 北海道日本ハムファイターズのチーム戦略
「監督・選手が変わってもなぜ強い? 北海道日本ハムファイターズのチーム戦略」を読んだ。
いい球団、いいチームにはワケがある
何気なく読み始めたのだが、これは良書ですなあ!素晴らしい内容だ。
著者は藤井純一氏、ファイターズの元球団社長である。いかにしてお客を増やし、いかに魅力的なチームにしていくかが書かれているのだが・・・これだけ考えてやっていれば、そりゃあいいチームになるわ!と思った。
思いやりと気づかい
「スポーツ『ビジネス』として取り組むこと」の重要さを説いているが、この本に書かれているどの方法も根本は思いやりと気づかいだ。
ファンにとって、選手にとって、社員にとって、そしてスポンサー、地元にとって「こうだったらうれしい」を形にした結果がここに書かれている。
そりゃあ、応援したくなりますわ、好きになりますわ。そう思うことしきりだった。
監督・選手が変わってもなぜ強い? 北海道日本ハムファイターズのチーム戦略 (光文社新書)
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ファイターズの監督の条件
この本で驚いたのは、フロントの各部署が絶対的な権限を持っているということ。
たとえば、編成や選手の獲得を決める部署があるのだが、ここで決定したことには監督もオーナーも口が出せない。決定権はその部署にあるのだ。
また、監督の条件もなるほどと思った。
「ファンサービスができること」というのが絶対条件なのだ。
「育成して勝つチーム」という方針に納得してもらった上での選考になるそうだが、ヒルマン監督、梨田監督、栗山監督・・・とみると、確かに!と思わされる。
それにひきかえ・・・
ちなみにワタクシの地元には人気がダダ下がりの球団があるのだが、これを読んだら「そりゃそうだわな」と思うことばかりだった。
この本がすべてというわけではないが、ファンサービス1つとっても根本から理由を考えてつくりあげるのと、表向きだけマネするのとでは全然違うわな。
「ブラック・ボックス~記憶の罠~」を観た
「ブラック・ボックス~記憶の罠~」を観た。2005年のフランス映画である。
ブラック・ボックス~記憶の罠~
この作品は「失われた記憶を蘇らせる」系の映画だ。
最初に言っておくと、ワタクシはこういった「記憶をどうこう」といった映画はあまり得意ではない。
なんというか、見ているこっちも混乱してくるというか、つらくなってくるのである。あと、「蘇る記憶はすごいものでなくてはならない」的なつくりの縛りを感じてしまうのもある。
どんでん返しで有名になった監督が、もっとすごいどんでん返しを求められていく感じに近いといえばわかるだろうか。「前の作品を観た人をもっと驚かせるためにつくられたどんでん返し」みたいなことを感じてしまうのだ。
小説でいえば、叙述トリック的なイメージもありますな。驚かせないとダメなのぉぉ!みたいな。
それはさておき
この作品は、事故にあい、昏睡状態のアルチュールが口にしたうわごとから物語ははじまる。そのうわごとは、眠っていた記憶を蘇らせる鍵だった―という内容だ。
全体に非常に丁寧につくられており、記憶をよみがえらせる系が苦手なワタクシでも存分にたのしむことができた。
映像の独特のトーンも、記憶があいまいさとクロスしていて素晴らしいし、フランス映画らしい空気感も非常にいい感じだ。
ただ、脚本も含めて小さくまとまりすぎてしまったかな、という印象だ。
記憶モノはやりすぎても理解しがたい内容になるし、まとめようとする小ぢんまりした感じになるし、難しいところですなあ。
観る側はこうして好き勝手いえるが、作る側は本当に大変だと思う。
「ハウンター」を観た
「ハウンター」を観た。これ、なかなかいいですよ!
ハウンター
ハウンターは、「CUBE」で一躍有名になったヴィンチェンゾ・ナタリ監督による作品だ。
ホラーに分類されることも多い作品だが、パッケージにもあるSFサスペンスというのが近い分類だろう。ただし、このSFは藤子・F・不二雄先生言うところの「すこしふしぎ」のSFだ。
影(または陰)の使い方がやや過剰な部分もあるが、つくりこまれた映像は一見の価値ありの作品だ。
タイムループものだが、他のループものとはちょっと違ったつくりになっている。また、その仕掛けがわかって終わりという構成ではないのも面白いところだ。
抜群の脚本と演出
この作品、脚本と演出がとにかく抜群だ。低予算映画であるが、知恵と工夫でここまでできるのかと思わせてくれる作品だ。
台詞も少なく、状況説明も少ない。全編がほぼ主役のアビゲイル・ブレスリンの不安げな表情ですすんでいくのだが、これだけで話が分かるし見せられる。本当によくできた作品だ。
スタン・ハンセン「日は、また昇る。THE SUN ALSO RISES」その2
前回にひきつづき、スタン・ハンセン「日は、また昇る。THE SUN ALSO RISES」の話である。今回はプロレス的な面で語ってみよう。
スタン・ハンセン
スタン・ハンセンは2000年に引退したが、今なお記憶に強く残っているプロレスラーだ。全盛期は凄まじい強さで、テレビの前でどうしたらハンセンを止められるんだ!と何度も思ったものだ。
当時、ワタクシはファンクスを応援していたのだが、もう絶望しかなかったものな。テリーとのシングルなんて、公開処刑を見るような気分だったものだ。なぜここまでやれるんだ!というぐらいにテリーをボロボロにしてたものな。
テリーへの感謝
だが、この本の冒頭でワタクシはいきなり泣いてしまった。テリーへの感謝の言葉、テリーが自分にとっていかに大きな存在だったかを書いている。
そう、あれはテリーもハンセンもプロフェッショナルだからこそ成り立った試合だったのだ。
読んでいると、テリーのことを心の底からリスペクトしているのが、これでもかというぐらいに伝わってくる。
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スティーブ・ウイリアムス
ハンセンは、スティーブ・ウイリアムスについても語っている。リング上では敵同士の存在だったが、いかにいい友人だったかが書かれている。
ウイリアムスが最後まで前をむいて生きた姿や、ハンセンの「彼の言葉が今も留守番電話にも残っている」というくだり、1つ1つのエピソードが心に染みる。
ウイリアムスとハンセンとの関係はこれまであまり語られることがなかったように思う。
リアルタイムでハンセンとウイリアムスの激闘を見ていたので、いい友人だったという話は読んでいて嬉しかったなあ。
ちなみに、ワタクシは、6.5武道館の一騎打ちで出たラリアット(オクラホマ・スタンピートを逃れてのウエスタンラリアット)がベストラリアットだと思っている。