齋藤孝氏「三色ボールペンで読む日本語」について2
昨日にひきつづき、齋藤孝氏の「三色ボールペンで読む日本語」についてである。
読書術の本
この本の中で齋藤孝氏は
自分なりの読み方と称した、勝手な客観性のない読み方が許容されている現実には、私は我慢ができない
と書いている。
あわせて、「前提となる読みが狂っていてはならない」ということも説いている。
ワタクシは「おお!」と思った。実に素晴らしいフレーズだ(後者が書かれたくだりについては、ちょっと恨みつらみが入っているように感じる部分もあったが・・・)。
本を読む時に気をつけること
ワタクシは本を読むのが大好きだが、できるだけとんちんかんな解釈をしないように気をつけている。
どうでもいい話だが、「考えるな感じるんだ」というフレーズを、「考えるのは愚か→感じたことがすべて正しい」と頭の悪い解釈をしている人をみると、うわぁ・・・って思うよな。
その口で「嫌だなあと思う人がいても、嫌ってはいけません。その人の気持ちになって考えてみましょう」とか言っているんだぜ。プー、クスククスクスwwwwである。
ドストエフスキーを読む
「三色ボールペンで読む日本語」では、齋藤孝氏の本の読み方が書かれているのも興味深かった。
中でも面白かったのは、ドストエフスキーの小説を読むときに「呼吸」や「息」に関連する部分を、緑のボールペンでチェックしながら読んだというくだり。これがまた面白いんだ。
ドストエフスキーがいかに「呼吸」や「息」を効果的に使って書かれているかがわかる。こうやって部分部分に注目していくと、「呼吸」や「息」以外にも、もっといろいろな仕掛けがあるんだろうなあと思わされる。
まとめ
「三色ボールペンの使い方」に目がいってしまいがちな1冊だが、読書術の本として読むと、なかなか面白い本だと思う。
同じたとえ話が何度も出てくる(しかもあまりイケてない)ので、そこは飛ばしながら読むのがオススメだ。