ターゲットは「騒ぎたい層」なのか
このところ「新しい小説にこだわる必要はないかな」という気持ちが強くなっている。
本屋にはちょくちょく足は運んでいるのだが、どうも昨今は「売りたい」ばかりがみえてしまい、なんだかなあという気持ちになってしまう。
本の魅力を伝える・ひきだすのではなく、「あざとい」「売ってやろう」という感が見えすぎてならない。どうにも、うんざりしてしまうというのが正直なところだ。
ターゲットは「騒ぎたい層」なのか
なんというかな、本以外でも感じることがあるが、昨今は「騒ぎたい層」にむけてつくったようなものがずいぶんと増えたように思う。
確かにSNSなどで騒いでくれたほうが宣伝にはなるだろうし、誰も彼もが「発信できるネタを探している」今なら、それもアリかもしれない。
だが、あまりにも「薄っぺらくないか?」と思うのである。言葉や宣伝が無責任すぎるように感じることも多い。
中身があってこその話
たとえば、以前このブログでも何度か取り上げた「罪の声」である。
ファンの方や楽しんだ方には申し訳ないが、ワタクシは「これはひどすぎるだろう」と思った。
あまりに売り方がひどい、取り上げるテーマに作者の力量がついていっていない―こういう出し方をしてはいけないだろうと思ってしまった。
なんというかな、「話題をつくりたいがために、安直に手を出すべきテーマではない」ということを強く感じた作品だ。
「調べごとの発表会」
相場英雄氏の作品を読んだ時にも「おいおい」と思った。「骨太な小説」「社会派ミステリ」といったふうな宣伝でプッシュされた氏の作品だが、ファンの方には申し訳ないが「これはひどい」と思ってしまった。
氏の作品は「いろいろと調べであろう」ことは分かる。だが、それが作中では、単なる発表会になってしまっている。
ストーリーに絡むことなくそれをやるものだから、発表部分が見事に浮いてしまっている。そもそも「何かを暴露しておけば社会派」というわけではないのだが・・・。
クランクインでもそうだったが、この作者は「裏事情を書けばいい」と勘違いしている節がある。
人を描く
上の2人に共通するのは「人間を描いていない」ということだ。
おそらく、日本のドラマか邦画をベースにして書いているのだろうが、演技も演出も非常に安っぽくウソ臭い。
そこに「事実に基づいた調べごと」を入れてくるものだから、バランスが悪いったらありゃしない。余計にウソ臭くなる、というわけである。
人間の思考や行動が「人間(という事実)に基づいていない」んだよな。「ドラマならこうする」という演技や演出に基づいているように思えてならないのだ。
それも上質でないモノをベースにしているわけだから、なおひどい―というわけだ。
宣伝をするのはわかるが、どこかに誠意はほしい
本が売れないといわれる時代である。ヒステリックに宣伝しなければ、という気持ちもわかる。
が、読みたいのは「おもしろい本」なのだ。「騒ぎたい層」へ向けた「騒ぎやすいワードが並んだ宣伝」ではないのだ。
だが、こうした傾向はこれからより拍車がかかっていくと感じている。
そういったものに絶望しながら探すよりも、過去の名作をあたっていったほうがよほど幸せだ。無理によむ必要はない。