talkingdoll

カメラとへんてこなものを愛するフリーランス。カメラ、映画、へんてこなどのネタをつぶやきます。

小説に飽きたらノンフィクションを

先日、ノンフィクションもオススメという話を書いた。

doll3.hateblo.jp

小説を読むのは大好きなのだが、如何せん1人の作家が出す作品数は限られている。気に入った作家がいても、次から次へと読んでしまうとあっという間に全作品を読み終わってしまう。

つまりは、好みの作家を増やしていかないと、だんだんと読む作品がなくなってくるというわけだ。

読む本を探す

そんなわけで、なるべくいろいろな作家の本を読もうと思っているのだが、最近は「似たような本ばかりになったなあ」と感じることがある。

「またこの設定?」「またこの展開?」みたいなものが増えてきたように思う。

これは小説以外のジャンルでもそうかもしれない。最近は、既存のパターンの組み合わせで創作することが増えてきたのだろう。パズル的で、ある意味、記号的なものになってきたのかもしれない。そんなわけで新刊本にあまり魅力を感じないのである。

乗れないパターン

その昔、「少年犯罪」がマスコミでやたらと取り上げられていた時、感じたことがあった。

それは、これをテーマにしてしまう小説家には乗れないなあということである。

それでも、独自の世界観に持っていくのであればまだいいが、中には事件をまんまなぞって、オチだけ創作みたいなのものとかをつかんだ日には、たまったものではない。そのオチも、なんかの小説をオマージュしたものだったりとかな。

ワタクシは「それってどうなの?」と思ってしまう。

なんというか、これは読者のわがままだとは思うのだが、小説家なら世界(物語の舞台)をつくるところからやってほしいと思うのだ。

バランス

事件ものやタイムリーなものは売れるのかもしれないが、そればっかりでやられてもなあとワタクシは思ってしまう。バランスが悪いんだよな。

そういえば、地元のタウン誌。「~女子」をやたら連発した企画ばかりになった。すげえ周回遅れというか、どこ見てつくってんだ。地元の住民層を見てみろという話である。そもそもタウン誌なのに、なんでどこかにある本みたいなつくりをするのかなあ。

まあ、それはさておき、ノンフィクションものを読んでいると、現実のことは専門の人たちにまかせておいた方がいいと感じる。たとえばこれだ。

殺人犯はそこにいる (新潮文庫 し 53-2)

ぶっちゃけた話、清水潔氏の本を読んでしまったら、中途半端に現実の事件をモチーフにした小説は読めなくなってしまう。犯人に迫っていく姿はすさまじい。

桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)

こちらもぜひ多くの人に読んでほしい1冊だ。 心がえぐられるような気持ちになる。

 

殺人犯はそこにいる (新潮文庫 し 53-2)

殺人犯はそこにいる (新潮文庫 し 53-2)

 
桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)

桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)

 

 

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