完成されているものに、なぜ余計なことをするのか
ワタクシは、ブライアン・デ・パルマ監督の作品が好きだ。
まずは「パッション」について話そうと思ったのだが、今回の記事を書くにあたって日本版の予告編をみたのだが・・・これがあまりにもひどい。笑えるひどさならまだいいのだが、そうでない「本当にダメなひどさ」なので、どう語ろうか途方にくれているところである。
予告編の違い
まずは海外版を見てほしい。
言葉は分からなくとも、なにやら不思議で妖しげな感じが出ていると思う。これは本編を見た後でも納得の予告編である。まさにこの映画の予告編だ。
そこで日本版である。
もうメチャクチャである。日本版に多い「いちいち余計なことをする」の最たるものだ。しかも、予告の段階でそこは入れるなよ!というシーンばかりをわざわざ入れている。まとめ映像じゃねえんだという話である。
元のもので完成されている
日本版になると、余計なことをして台無しにしたり、雰囲気を損なったりしているものが本当に多い。いつも思うのだが、完成されているものになぜ余計な手を加えるのかということである。
いつだったかは洋画なのにわざわざJ-POPをくっつけたものもあったり、インサイドヘッドのドリカムもそうだ。「そういうの求めてないから」という話である。
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また、邦画でよくある、原作モノなのに、監督や俳優が好き勝手に世界観をつくろうとするのはさっぱり意味がわからない。「自然体で演技をするために、原作は一切読んでいません」とかほんと意味わかんないよね。
「見ない」という選択肢
ワタクシはそういう映画や作品に対しては「見ない」のがいちばんだと思っている。だが、勘弁してほしいのは「見たくないのに目に入ってくる」ケースと「わざわざ進出してくる」ケースである。
わざわざ進出してくるケースと言うのは、たとえばスポーツの試合だ。
大一番だからこそ集中して見たい、しっかりとした技術解説を聞きたい、という時に、わけのわからないアイドルとかタレントがゲストだったりする場合だ。
アイドルとか見たくないからこっち見てんのに、わざわざ進出してくるなよ!という話である。しかも、詳しくないのに来ていたりすると、見る側としてはたまったものではない。
逆に「詳しいです」アピールされても微妙な気分になるので、やっぱり最初から呼ぶなよと思ってしまうのである。
まとめ
今回はずいぶんと脱線してしまったが、ブライアン・デ・パルマ監督の「パッション」はワタクシのお気に入りの映画だ。日本版の予告編を見てしまったばかりに、話がずいぶんとそれてしまったが、ブライアン・デ・パルマ監督についてはまたいずれじっくりと語りたいと思う。