モノは使ってこそ意味がある
昨年、片づけをした際に、たくさんのモノを捨てた。その中には、未使用のまま捨てることになったものも少なくない。
買って満足してしまう
自分でもアホくさいと思うのだが、ワタクシは「買って満足してしまう」ことが多い人間だ。わかりやすいところでは積読だろう。
買って満足、さあ、積んでおこう―まったく「何のために買っているのか」と思うわけだが、買わなければ買わないで、今度はほしくてほしくてたまらなくなるのである。
昨年の片づけの際に「これはいかん」と思い、現在はその性格を改善すべく努力しているところである。
モノは使ってこそ
そうした中で、やっとこさ気づいたことがある。それは「モノは使ってこそ」ということである。
昔の手帳をみてよく思うのだが、ガシガシと使ったもののほうが「よく使った感」があり、思い出も深く残っている。
反対に、丁寧に丁寧に&おそるおそる使ったようなものは「気を使ったこと」しか覚えていなかったりする。
保存状態でいえば、おそるおそる使ったもののほうがキレイではあるのだが、手帳として使いこんだもののほうが美しい―そんな気がしている。
モノは使うことで、自分にとっての価値がプラスアルファされるのかなあと思ったりもする。
遠回りをしたけれど
すごく遠回りをしたが、「モノは使ってこそ」ということがやっとわかってきた気がする。
「そんなの当然じゃないかよ!」と思う人も多いだろうが、ワタクシのように「買って満足してしまうタイプ」にとっては大きな前進である。