小説の水増し・引っ張りについて
小説において「連載→単行本」は定番だが、一気に読むと水増し・引っ張りが目立つものがある。
今回はそんなお話を。
ここ最近、黒川博行氏の小説にハマっている。どれも大変に面白く、ハズレが少ない作家の1人だろう。
ただ、先日読んだ「落英」はどうなのだろうと思った。いや、面白いのは面白いのだ。だが、1冊の本としてみると非常にバランスが悪いように感じた。
連載の弊害
この小説はもともと日刊ゲンダイに連載されたものである。連載時にリアルタイムで読んでいれば気にならないだろうが、一気に読むと部分部分でものすごくバラつきがある。
面白い部分もあるが、水増しや引っ張りに感じられる部分も多い。
黒川博行氏の小説といえば会話の妙があるが、この作品に関してはキレがないどころか、ページ稼ぎのように感じられる部分も少なくない。
頻繁な場面転換
ワタクシが最も気になったのは、場面転換の多さだ。タイプは違うが、薬丸岳という小説家がいる。
薬丸岳氏の小説には一時期、かなりハマっていたのだが、途中であることに気づいた。やたらと場面が切り替わるのである。
最初はそれほど気にならなかったのだが、発刊ペースがあがるにつれて、この点がやたらと気になるようになってきた。
おそらくは。
何らかのモノづくりをしたことがある人なら、経験したことがあるだろう。ごたごたと飾り立てるとごまかしが効くんだ。芯が甘くても、要素を増やすとそれっぽく見えるようになる。
頻繁な場面転換は、これに近いんじゃないかと―。ワタクシはそんな気がする。