「日記を書く」という行為に、何かを求めない
寝る前に日記を書くのが習慣になっている。
使っているのはツバメノートのA5だ。
日記の書き方
ワタクシの場合、日記で自分をみつめなおすとか、日々の感動を残すといった考えはないので、かなり気楽だ。
その日にやったことを書き、気が向いたら感想も加えるくらいだ。
たとえばこんな感じだ。
・食べ放題に行った。やっぱりここがいちばん好き
・今年はじめてミツバチを見た。うれしい
そう、めちゃくちゃシンプルである。
たったこれだけでも、読み返せば、記憶も感動もよみがえってくるし、振り返ることができる。ワタクシの場合は、このやり方がいちばん合っている感じだ。
全部は書かない
日記は夜につけることが多い。その日にあったことを思い出して書くことはせずに、その時に頭に浮かんだことだけしか書かない。
なので、3分もあればたいてい書き終わってしまう。
文章も「必要な情報」しか入れていない。もし、おいしいものを食べたのなら、1文はそれだけでいいと思っている。
こんな書き方
たとえば
○○さんと△△へ行って、××を食べた。人が多くて順番待ち。さすがに春休み。子供連れが多い。待っている間、そろそろお花見だねえという話をした。
という書き方をすると、ワタクシの場合、続かない。記録としてはアリだろうが、書いていて非常にめんどくさくなってくるのだ。そう、たぶん続かなくなる。
ワタクシの場合は、どうでもいい話はばっさりカットして
・××を食べた。チャーハンがおいしかった
・春休み早く終わってくれ
と書く。
ワタクシは人の多いところが苦手なので「春休み早く終わってくれ」と書くだけで、混雑に辟易した記憶がよみがえってくるというわけだ。
要は、読み返したときに自分が分かればいいのだから、そのために必要なことだけがあればいいという考えだ。
「日記を書く」という行為に、何かを求めない
ワタクシの場合は、気楽に書くのがいい感じだ。「日記を書く」とことに、何かを求めないのも大切だと思う。
ついつい「自分を見つめなおす」とか「これからのために」と思ってしまうが、修行ではないというのがワタクシの考えだ。
そんなスタンスで書いても、読み返せば、自分を振り返る要素も、これからに役立つことも自然と入っていたりするのが面白いところだ。