勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし
前回のつづきである。「野村の遺言」を読んでワタクシがプロ野球に思ったことだ。
ワタクシは、今ではまったく見なくなってしまったが、以前はプロ野球の熱狂的ファンだった。
勝負にこだわるファンも多いと思うが、ワタクシはひいきのチームが負けている試合を見るのも好きだった。
そりゃあ確かに悔しいけれど、なぜ負けているのか、なぜ相手が上回っているのか、ここからどういう展開になるのかを考えながらみるのが、好きだったのだ。
勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし
ノムさんがよく使う言葉に「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」というものがある。もとは剣術書からの言葉だが、ノムさんといえばこれ!というぐらいに浸透したフレーズだ。
ワタクシはこの言葉が好きで、試合を見終わるたびに自分なりに分析してたのしんでいたものだ。
一球の重み
だが、ある時期から、以前だったら「勝負をわけるプレー」になったものが、そうでなくなってきたことに気づいた。
「相手が致命的なミスをしたらそこを攻める」のではなく、「相手の致命的なミスに、こっちも致命的なミスを犯してイーブンになった」みたいなシーンがやたらと気になるようになったのだ。
一体、一試合でいくつのミスをしあうんだよ・・・みたいな。「このチームには隙を見せたら絶対に勝てない」なんてのがあまり感じられなくなってしまったのだ。
負けてもなんとかなる・・・のか?
「負けられない」じゃなくて「負けてもなんとかなる」、プロ野球をみていると、そんなことを感じるようになってしまった。
レギュラーシーズンを優勝しても、クライマックスシリーズで勝ち上がってきたほうがすごいようにみえてしまう。
そのチームが日本シリーズで負けても、「まあ、もともと○位だしね」と思えてしまう。
アストロ球団という漫画がある。「1試合完全燃焼」をフレーズに超人たちが命を削ってプレーする。ツッコミどころも多いが、このすさまじさ、この熱さは魂がふるえるぞ。
次回につづく。