「1984年のUWF」と前田日明氏について
前回の続きである。「1984年のUWF」を読んだという話&前田日明氏について話だ。
フィルターがかからなくなった
これはプロレスに限らないが、ワタクシは寡黙なイメージのほうが幻想を保てるように思う。
ファンとは勝手なもので、勝手に想像を膨らませて、違う面がみえると「え、こんな人だったの?」と勝手に幻滅する。まったくやっかいな生き物である。
前田日明氏については、リングスの立ち上げごろまでは、今ほどはイメージが悪くなかったように思う。
ワタクシ的には、紙のプロレスあたりでやたらと持ち上げられてから、おかしくなってしまったように思う。
ほぼノーフィルターに見えるインタビューは確かに面白かったが、イメージもずいぶんと変わってしまった。
格闘家ではなくプロレスラーでよかったのは
ワタクシはあらためて思うが、前田日明氏は「プロレスの中でプロレスを改革しようとしたプロレスラー」でよかったのではないだろうか。
それで総合格闘技にも詳しい・・・だったら話は違っていたように思う。やっていたのはプロレスなんだものな。
実態は泥沼だったのかもしれない
ワタクシは幻想があるほうが素敵だと思うタチだが、UWFについては、幻想は幻想であって欲しかったという気持ちはあまりないなあ。
賛否はあれど、時代の空気とマスコミが作り上げたものなのかもしれない。Uの幻想とか、Uは一枚岩とか、そういう言葉が引っぱっていたんだろうなあと思う。
先日のニコ生では、前田日明氏がこの本について触れたり、UWFのことを語ったそうだが、内容を聞くと、現実と妄想がごっちゃになってきている感じだなあ。
1984年のUWFを読んでいないということだが、ワタクシは読んでいるように思った。