talkingdoll

カメラとへんてこなものを愛するフリーランス。カメラ、映画、へんてこなどのネタをつぶやきます。

「カラマーゾフの兄弟」を読みきるためにした工夫

昨日は、「カラマーゾフの兄弟」を読了した旨を書いた。

挫折する人も多いと言われる「カラマーゾフの兄弟」だが、今回は、ワタクシなりに読みきるためにした工夫を紹介しようと思う。

あせらない

カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)

とにもかくにも、これである。カラマーゾフの兄弟は大作だ。

ページ数が膨大なだけでなく、どのページをみても改行がほとんどなく、字がびっしりだ。

そのため、読んでも読んでもなかなかすすまないという気になることがある。

そんな時に、ふと「これがこの先ずっと続くのか・・・」と思ってしまうと、とたんにつらくなってくる。

ワタクシの場合は、なんとしても読み切りかったので、読み終えるまでの期限を設けないことにした。

1年ぐらいかかってもいいから、のんびりいこうぜと思ったのである。

具体的には「1日2ページ以上読めればOK、でも毎日読む」と決めた。

多い日は数十ページ読み進めることもあったが、結果的にこうしたスタンスでのぞんだのがよかったと思う。気負いがなくなり、楽な気持ちで読み続けることができた。

わかりやすい訳を選ぶ

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

海外の小説はこれも大きなポイントだ。

ワタクシは原卓也先生の訳のものを読んだが、読みやすそうな訳者のものを選ぶか選ばないかでずいぶんと変わってくる。

ワタクシは訳者を選ぶとき、適当なページをひらいてみて、読みやすいかどうかで決めている。

ほぼフィーリングの問題なので、半ページぐらい読むだけでも意外とわかるものだ。

ワタクシの場合、そこで合わないと思ったときは、実際に読み始めてもやはり合わないことが多い。

すべてを理解しようとしない

これも重要だ。

しっかりと理解しながら読みすすめていくというのは、大事なことではあるが、作品によっては、そう読まないほうがいい場合もあるように思う。

そういう読み方をしていると、理解しにくい箇所が立て続けに出てきた時に「自分にはむいていないのか」という気がしてしまうことがある。

だが、わからないことは後から調べてもいいのである。

少なくとも、カラマーゾフの兄弟に関しては、そのように読んだほうが、だんぜん読みすすめやすいように思う。

本は何度でも読み返せるものなのだから、1回ですべてを理解する必要はないように思う。

人物のメモをしない

カラマーゾフの兄弟には様々な人物が出てくる。

名前自体がややこしい上に、時には愛称で呼んだり、場面によって呼び方が変わったりする。

人物のメモをしながら読むのも手だが、ワタクシはメモなしでも十分にいけた。

基本的に、どの人物も濃い上に、重要な人物は何度も出てくるので、読んでいるうちに、自然と入ってくる。

メモをしないと人物が覚えられないのでは・・・という人もいるだろう。

たしかにワタクシの場合も、人物が再登場した時に「あれ、誰だっけ?」と思ったことが何度かあった。

だが、その後の描写でちゃんとフォローされているので、すぐに思い出すことができた。

超スローペースで読んだワタクシでもそうなので、ある程度のペースで読んでいる人なら、もっとスムーズに思い出せるのではないかと思う。

人それぞれの物語

カラマーゾフの兄弟は、誰が主役というわけでないように思う。

ワタクシは、上巻を読んでいる時に、これはアリョーシャの物語かなと思っていたのだが、読み進めていくうちに、人それぞれの物語であるような気がしてきた。

読み終えてみると、全員の物語でもあるなあと思った。グルーシェニカの物語でもあるし、へちまの物語でもある。そのほかの人物も同様に思う。

つまり、その時々に展開されている物語をたのしむように読むと、読みすすめやすいと思う。

まとめ

と、こんな感じで書いてみたが、実際問題、読み始めてつまりやすいところは、一部だと思う。

ワタクシの場合は、ゾシマ長老のくだりが難所で、これ以外は非常にスムーズに読めた(ここを難所と思う人は少ないような気がするが、ワタクシはなかなか進まなかった)。

カラマーゾフの兄弟、最後まで読んで本当によかったと思う。そして、これから先、また何度でも読みたいと思う作品だ。

興味のある人はぜひチャレンジしてほしいと思う。

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