いろいろな「吾輩は猫である」
このところ、気の向いたときだけだが音読をしている。特別な意味はなく、ちょっとやってみたら妙にたのしかったからである。
吾輩は猫である
最初は、手元にある小説の帯や宣伝文だけを読む程度だったのだが、せっかくだからと、夏目漱石の「吾輩は猫である」にチャレンジしてみることにした。
数分ずつと決めて、気が向いたときに読んでいるのだが、黙読とはまた違った感覚があってたのしい。
音読をしてみると、夏目漱石の文章のすばらしさがより実感できる気がする。いやぁ、本当に美しい文章で、たまりませんなあ。
「吾輩は猫である」といえば、この表紙は違う気がしてならない。
吾輩は猫である アニメ版
「吾輩は猫である」といえば、アニメ版も味があっていい。
猫のデザインは、じゃりン子チエのはるき悦巳氏によるものだが、そのままじゃりン子チエに出ていても何の違和感もない、すばらしいデザインである。
この絵柄が合っているかどうかはさておき、雰囲気自体はよく出ているのではないだろうか。
この表紙もいい
表紙でいえば、これもすばらしいデザインだ。
かっこよくも見えるし、よく見ているとじわじわとくるデザインだ。顔やハイブリッドボディに目がいくが、手元もぜひ見てほしいデザインだ。
まとめ
こうしたすばらしい作品に触れることができるのは、幸せ以外の何者でもない。ワタクシは、古い作品の表紙は、古い作品らしいほうがいいと思う。
これは小説だけではないが、なんでもかんでも、かわいいとかマンガ的なデザインにする必要はないように思うぞ。