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talkingdoll

カメラとへんてこなものを愛するフリーランス。カメラ、映画、へんてこなどのネタをつぶやきます。

花村萬月「たびを」

懐かしい

今回は「たびを」の話をしよう。花村萬月氏の小説である。ワタクシがある時期からぱったりと読まなくなってしまった作家でもある。

たびを

「たびを」は1000ページを越える大変に分厚い小説だ。つげ義春氏のイラストも素晴らしく、この小説の雰囲気そのものだ。内容は帯にあるとおり、

スーパーカブを駆って日本一周をつづける、十九歳、浪人生のひと夏の物語。
旅先での友情、憎悪、つかの間の恋…花村文学の旅立ち

で、日本各地を旅をする物語だ。

一気に読むと、描写のばらつきや整合性が取れていない部分、過度の説明など、気になる点がいくつも出てくるが、短編集のような感覚で読むと印象ががらりと変わる。小さな旅の重なりと考えて、少しずつ読んでいくのが正解なのかもしれない。

花村萬月氏をあまり読まなくなった理由

「その作家のテンプレート的な展開」がきたときに、「おお、これこれ。やっぱりこの作家はこれだよねえ」と思える作家と、「またこれかよ」と思える作家がいるのはなぜだろう。

もともとワタクシ的が花村萬月氏の小説に惹かれたのは、言葉のやりとりだった。問答のような会話が絶妙で好きだったのだが、だんだんとそのキレがなくなり、なんというか「とりあえずこれでつないでおけ」的な感じになってしまったのだ。行稼ぎっぽく見えてしまったのだ。

行稼ぎといえば、大沢在昌先生だ。

魔女の盟約 (文春文庫)

魔女の盟約 (文春文庫)

 

先に言っておくが、ワタクシは大沢在昌先生の大ファンだった。新宿鮫の途中ぐらいまでは本当に楽しませてもらった。しかし、ここ何年かの作品はスカスカだ。内容もそうだが、ページの余白が大変に多いのだ。

短い会話でつなぎすぎで、ネタも「またかよ」的な感じで期待はずれな作品ばかりだ。正直、ここまで手抜きをするか?という感すら受ける。宮部みゆき先生とミックスしたらちょうどいい感じになるかもしれない。

ソロモンの偽証はワタクシ的にはアリだ。確かに長すぎると思うし、中学生らしくないし、振り返ってみれば「そこまで引っぱるか?」という部分もある。だが、宮部みゆき先生の作品は、読んでいる時に面白いのだからそれでいいのではないかと思う。まあ、確かに人物描写(特に子ども)に関しては、ある時代の子供観で止まってしまっているとは思うが・・・。

たびを

そんなわけで花村萬月氏の「たびを」である。読んでいる間は大変に面白かったが、同時に「ここまでかなあ」とも思った。小説には作家ごとでちょうどいい長さがあるとワタクシは思っている。

「たびを」は途中でひきだしが足りなくなってしまったように思えてしまった。これだけの長さの小説を書き上げるのは本当にすごいことだと思うが、この長さでなければまだ隠せたであろう「底」が見えてしまったかなあ、そんな気がした。

たびを

たびを

 

 

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