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talkingdoll

カメラとへんてこなものを愛するフリーランス。カメラ、映画、へんてこなどのネタをつぶやきます。

リアルサウンドとエネミー・ゼロと飯野賢治氏のこと。

部屋の片づけをしていたら「リアルサウンド風のリグレット」が出てきた。セガサターンで発売された、音だけしか出ないというテレビゲームだ。

リアルサウンド風のリグレット

リアルサウンド風のリグレット

このゲームには映像はない。真っ暗な画面を見つめながら、音だけを聴くという大変シュールなゲームだ(後のドリームキャスト版では風景などのみ搭載された)。

音だけと言っても、音楽にあわせてボタンを押したり演奏を楽しむような音ゲーではなく、大半は物語を聴くだけだ。操作が必要になるのは、ゲーム内に数か所ある選択肢のところだけ。

つまり、プレイヤーはプレイ時間の99%は画面の前でぼーっと座っているだけ。大変にシュールなゲームなのである。

「やってみたい」とちっとも思えないCM

リアルサウンドは当時はこんな形でCMをされていた。


セガサターン リアルサウンド~風のリグレット~CM 3バージョン

どうだろう、大変にやばげであることが分かっていただけるだろうか。2番目がいちばんマシに見える人はきっと正常だ。

当時は「ゲームのCMらしくない」CMづくりが多くみられた時期だった。そういったスタイルで攻めたソニープレイステーションのCMが、大変なインパクトがあったこともあり、セガもそういう方面にいったのだろう。

だが、上のものを見てもらえばわかるが、セガの場合「ゲームのCM」じゃないものを作ろうとして、なんだか別の方向に行ってしまったり、まったく意味のわからないものになっていることが多かった。

いわゆる「ゲーム好きとは違う層」をターゲットに作っているのだろうが、「これは誰にむけたCMなんだ」と思ったのはワタクシだけではないだろう。

特に、このゲームを作った飯野賢治氏が関わったものの場合、飯野賢治氏のアイデア(と本人)が前面に出ることが多いので、確かに「ゲームのCM」にはないパターンではあるものの、ハズレが大変に多かったことを覚えている。

エネミー・ゼロのCMもかなりすごい

このゲームを作った故・飯野賢治氏は当時、ゲーム業界の風雲児として何かと注目を集めていた。斬新なアイデアでゲームの概念を変える、そんな期待感を与えてくれるのが特長だった。

だが、エネミーゼロの時もそうだったが、発売が近づくにつれて急速にいまいち感が出てくるのも毎度のことだったように思う。このCMを見てほしい。


セガサターン エネミーゼロ CM 5バージョン

どうだろう、これも余計なことをしていない2番目がいちばんいいいようにみえないだろうか。特に小芝居が入ったものは、誰にむけてのゲームかさっぱりわからない。発売前は大人のためのゲーム、デジタルの哀しみといったことをアピールしていたはずだが、なんともすごいCMである。

エネミー・ゼロ サタコレシリーズ

激ムズ、クソゲーと言われることのあるエネミー・ゼロだが、ワタクシはノーヒント&自力でクリアした。さらにはハードモードでもクリアしたというアホな子である。

アドバルーンをあげる、風呂敷を広げるところまでは抜群だが・・・というのがワタクシの中にある飯野賢治氏のイメージだが、ワタクシはけっこうファンだった。

飯野賢治氏は本も面白いし、テックセガサターンだかについていたトークCDも抜群に面白かった覚えがある。そのCDでは当時大人気だった「ときめきメモリアル」を盛大にディスっていた気がする。

ゲーム―Super 27years Life

ゲームソフトでいえば、「リアルサウンド風のリグレット」のドリームキャスト版や「Dの食卓2」も予約して買った。

飯野賢治氏のコンシューマー機での晩年の作品は、発売が近づくにつれて、インタビューなどでの発言に苦悩がうかがえるようになってきた印象がある。

Dの食卓2の時は特に「ああ、なんかダメっぽいなあ」という感じだったが、それでも応援したい気持ちがあったから予約をして買った。プレイしてみると明らかに足りていない部分が多く、完成度も決して高くなかったが後悔はなかった覚えがある。300万本RPGは実現しないまま終わってしまった。

それにしても、出てきたゲームソフトをみて、いちいちこんなことを思い出してしまうから、片づけがすすまないのである。

 

doll3.hateblo.jp

 

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