今野敏とかキングとかヘッセのこと
このところ今野敏「隠蔽捜査」シリーズを読んでいる。この記事でも紹介したオススメの本でもある。
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今野敏先生の文章は軽めであっさりとしている。大きなクセがなく読みやすいのが大きな特長だ。さほど時間がかけずに読み終えることができる。
「行間を読む」という感覚
隠蔽捜査は大変に面白いのだが、気になる点もある。これは、このところの日本のミステリ&サスペンスにも感じていることだが、「行間を読む」という部分が非常に少ないような気がする。悪い言い方をすれば、小説というよりも台本や脚本みたいな印象を受けるのだ。
ストーリーを追うために必要なことのみが書かれている。セリフ+最低限の描写ですすむ台本みたいな本。読み終わった後、そう感じるものが多いような気がする。
小説とは、ストーリーをたのしむためのもの、読んでたのしい時間をすごすためのものと言ってしまえばそうなのだが、少々物足りなさを感じるのも事実だ。
味わう、読んで考えるという部分がないなあ。これって今の日本のテレビもそうだけれど、小説もそうなってきているのかもなあ。
ただ、ワタクシは同じ「考えなくていい」ものでも、わかりやすくつくられているものと、薄っぺらいものとは違うと思っている。
そりゃあ読みやすいのはいいけれど
いろいろな本を読んでいると感じることがあって、
・読みやすいものばかりを読んでいると、こってりしたものが読みにくくなる。
・こってりしたものを読んでいると、あっさりした小説ではものたりなくなる。
という部分がある。なんだか食生活のようだが、ある意味、本を読むというのもそういうことなのかもしれない。
こうした本を読んだあとに、たとえばスティーブン・キングを読むとけっこうきつい。わりとどうでもいいような描写にもめちゃくちゃ力が入っているのだ。
これがキングの小説の面白いところでもあるのだが、台本みたいな小説ばかりを読んだ後に読むと面食らうことうけあいだ。
キングの「書くことについて」は抜群に面白い。小説ではなく、分類としては小説作法の本になるだろうが、読み物としても実に面白いのでオススメだ。
薄味の本を読んだ後に1ページの密度が濃い小説を読むと「読んでいる」という気持ちになれる。
ヘッセの小説は1ページでどれだけ考えさせられるのだろうというぐらいに、心にくるものがある。ヘッセとはあの「車輪の下」で有名なヘッセだ。
ヘッセはデミアンも名作だ。どちらもページ数が少なく薄い本(ヘンな意味での薄い本ではない)だが、ものすごく時間をかけて読み、ものすごく時間をかけて考えることがあった。ワタクシにとってこれぞ小説という本だ。
ループするという感覚
濃い小説というのは、読むのに労力がいる。重いものだと読んだ後も心に響くので、まあ、ぶっちゃけた話、何冊も読み続けると疲れてしまう。
そうなってくると、今度は娯楽的なもの&読みやすいものがよくなってくる。そうすると、また隠蔽捜査のような小説をチョイスするのだ。そして、物足りなさを感じると濃いものを・・・とループしていくのである。